23日から始まった愛知道場も4日が過ぎました。久しぶりの愛知でしたので大忙しです・・・。私が神道に入ったのは40才を過ぎたころです。今思い出すと修行の始まりは、お経を教えてもらうのでもなく神様のことを教えてもらうのでもなく1ヶ月間のトイレ掃除でした。私はその時まで、社員が一緒に住んでいたり、彼女がいたりで、自分でトイレの掃除をしたことはありませんでしたので非常にツライ修行でした。でも得たものはたくさんありました。神殿に4箇所あったトイレ掃除で他人の排泄物の汚れをはいつくばってするのは傲慢(ゴウマン)さからの脱出でした。どこがなぜ汚れるのか、自分がどこを汚しているのかも、トイレそうじをすればすぐにわかります。そんな気づきによる無関心からも脱出できました。自分がトイレそうじをしていれば、よそできれいなトイレを使うときに感謝の気持ちがわいてきました。感謝の心、温かい心も感じることもできるようになりました。思いおこせば、トイレそうじの修行は心磨きでした。トイレ自体はただそこにあるだけで、もともと汚い場所でもきれいな場所でもありません。トイレは使う人の心がけ次第できれいにも汚くもなります。汚れは排泄物の汚れではなく、人の気持ちが汚れているということで。トイレがきれいなのではなく、使う人の心がきれいということなのです。私の修行の第一歩だったトイレ磨きが心磨きに効果的でした。愛知道場もあと2日です、顔晴りま~す!!!
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