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ゴールデンウイークが終わりました。
皆さんは楽しい連休を過ごされましたか。
私は鹿児島・梅ケ渕不動堂で、今は岡山県に転勤された、
仙台に居られたお客様をお迎えしました。
一年前の震災をもろに受けられた、ご夫妻とお子様二人です。
ご主人は仙台港の石油会社の油槽所でエンジニアをされていました。
仙台港の中にあり、タンカーが停泊するところですから津波は一番に受けました。
200人以上の社員皆さんで2階建ての会社の屋上に避難されましたが、
着岸していたタンカーが離れる時に協力会社の4名の方が流されて亡くなりました。
屋上までは津波がこなかったのですが、夜になって会社内の油の入ったタンクが大爆発。
社員みんなで腰まで水につかりながら他の避難所に移動しました。
その移動中でも、たくさんの亡くなった方や残酷な悲しい結果を目の当たりにしながらの苦しい状態でした。
自宅に帰れたのは明くる日の夕方。
でも自宅は地震の被害で、ビルはひびが入り、ライフラインもストップしているありさま。
部屋には入れず、車の中が家族との再会で、そのまま一ヶ月を過ごされました。
奥さんは社宅の皆さんと、食料品の確保や、屋外で炊き出しを行いご主人達を待っていたそうです。
そんな状況が一ヶ月以上も続き、奥さんが感じられたのは、毎日、水や食糧の買出し、炊き出し、子守などを
手分けして行なって、仲良くなった社宅の奥様たちや、
お互いに気遣いあった近所に住む友人たちとの本物の友情で、【大きな絆】を感じたのでした。
あまり好きでもなかった仙台が今では、第二の故郷になった、笑顔で話されていました。
ご主人は避難した屋上まで津波がくるのではないかと思い、皆で励ましあいながら本当の地獄を見てきたこと。
避難所への移動や自宅への帰り道や、明くる日からの会社への途中での様々なイ悲惨な様子などを見てきて、
【人や物などに、こだわりが無くなり】、人生観が大きく変化したそうです。
10歳と4歳の息子さんたちは、地震の恐怖が大きく、今でも少しの揺れでも怖がります。
でも4月に転勤で引っ越した、岡山は地震が少ないところだから、安心しているが、
PTSDが起きないように願っていますと言われていました。
配給所で割り込みなどせずに整然と並ぶ人たちがいて、日本人のマナーの良さが言われていましたが、
津波があって、明くる日には、盗みをするために大量の外国人が被災地に入ってきて、
死体から、財布や貴金属などを盗っていくやつ、被災した家に盗みに入るやつ、などがいて悲しかった・・・
そんな話を聞いていたら、あっというまに6時間ほどが過ぎていました。
梅ケ渕不動堂の境内で、小さな蟹や、カエルなどをとって遊んでいた子ども達も遊び疲れたようでした。、
二年ぶりの守護霊様の確認も無事に終わって、晴れ晴れとして笑顔でおられたのが良かったです。
次回に会うときまで、『お元気で』と、再会を約束して見送りました。